萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998④

4.文法の障害と遺伝子

特異性言語障害の言語分析


 一般に、英語が母語の特異性言語障害の人たちは、文法のなかでもとくに、形態素にかんする誤りが目立つという。とくに、時制をあらわす形態素の誤りが多いと言う。その多くは、John wash the dishes yesterday.のように規則動詞の過去形につける接辞‐edを省略するものである。またThe little girl play with her.のように相をあらわす進行形の‐ingの誤りも目立つ。しかし面白いことに、went、had、gotのような不規則動詞の過去形はめったに間違えない。
(p.89)



日本語の特異性言語障害


 日本語の特異性言語障害では、動詞の時制や文法格助詞、統語の理解に問題がある。たとえば、動詞の時制にかんする実験では、次の空欄に適切な動詞の活用形を入れて文を完成しなければならないが、障害者は多くの誤りをおかした。
 a 毎日かずお君は学校へ行く。きのうもかずお君は学校へ   。
 b 毎日妹は本をきむ。きのうも妹は本を   。
とくに興味深いのは、新語動詞を用いたbの文である。障害者が文法規則を知っているならば、今まで見たことも聞いたこともない新語に対しても、その規則を適用できるはずだが、彼らはbの文で予測される「きんだ」という形は使えなかった。その代わり、「きた」のように新語に音声的に近い音をもつ実在語をレキシコンの中から探して答えることがあるという。規則が使えないことを補う別の方法を用いていることがわかる。
 a 太郎が花子を押した。
 b 花子が太郎に押された。
 c 太郎が次郎に花子を押させた。
 d お母さんは赤ちゃんがミルクをのませた。
特異性言語障害の人はaの文は理解できるが、bやcの文はなかなか理解できない。また、dのようなおかしな文を正しいと判断してしまう傾向がある。このことは、受け身のラレや使役のサセは動詞につく接辞であり、なおかつ文法格助詞二やヲも動詞の形で変わってくることによるものと考えられる。
 さらに、動詞でも「書けば」、「書いた」、「書かれた」など、活用語尾がつく形は間違えてしまうが、「書き込む」、「書き忘れる」、「書き間違える」のように、二つの動詞が結合した複合動詞といわれるものは、正しく使うことができる。複合動詞が正しく使えるのは、一つ一つをメンタル・レキシコンに登録しているからと考えられる。
 現在、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、カナダインディアン諸語の一つであるイノクティトウット語でも調査が進んでいる。それによると、言語によって障害のあらわれ方は若干異なるが、基底にある障害の性質は同じであるという。
(p.93)