萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998②

3.言語理論からみた失語症

ブローカ失語の下位分類である失文法失語について)
 いずれも文法格助詞が抜け落ちてはいるが、よくみると語の並び方は日本語の基本的な語順である。なんだか電報の文体に似ている。笹沼らの調査では、全発話例のうち98%は、正しい語順であったと報告している。脳損傷の後でも、普遍文法の原理のうち、Xバー原理に含まれる主要部のパラメータの値は強固に保たれているようである。
 このことは、幼児のことばの獲得との関係でたいへん面白い。というのは、前にも述べたが、二歳前後というかなり早い時期にすでにこのパラメータの値は設定されているという証拠が、さまざまな言語から示されている。ロマーン・ヤーコブソンの提唱した、「早く獲得したものは失われにくい」という「鏡像の原理」が、音韻のレベルだけでなく、文のレベルでも成り立っているのである。
(p.65)


 臨床家がこの患者は「失文法」であると診断するとき、その基準となるのが「てにをは」の脱落といわれている。そこで筆者は、数年前、本当に機能範疇の項目はすべて抜け落ちてしまうのだろうかと考えて、調べたことがある。(中略)典型的な患者四例を分析した結果、補文辞(ト、ヨウ)や文法格助詞(ガ、ノ)は省略されやすいが、否定や後置詞(カラ、マデ)は比較的残っているという傾向がみられた。
(p.66)


 失文法患者では、脳損傷のために、文の処理に使われる作業空間が限られている。そのため、小さい構造は大きい構造より扱いやすく経済的である。したがって、小さい構造をもつ文は、大きい構造をもつ文より、失文法患者にとって、話したり理解したりしやすい。
(p.70)


ここで注意したいことは、Xバー原理に含まれる主要部パラメータの値は保持されていることである。つまり、普遍文法そのものはおかされていないといえる。問題は、限られた時間内で文を把握し、その中で肝心な要素どうしがもつ語彙素性が一致するかどうか(たとえば、疑問詞ナニと終助詞カ)をチェックしなければならないのに、構造が大きくなってしまうとそれがうまくできないのである。言いかえれば、彼らの障害は、言語の知識ではなく、使用にまつわるものといえよう。
 興味深いことに、この階層性は、重症度や回復の過程とも相関関係がある。重症の患者ではすべての機能範疇の語彙に障害があらわれるが、軽度の患者ではもっとも高い位置にある補文辞の誤りも正しく判断したり、話すことができる。ことばを取り戻す過程でも、低い位置の語彙から高い位置の語彙の順番で回復する。
 また、日本語とは語族を異にする、スウェーデン語やオランダ語や、アイスランド語、さらにヘブライ語の失文法患者のことばにも、現れ方は違っても、同じような現象がみられるという。
(p.70〜71)

聞いた文が理解できない


【失文法ブローカ失語の意味役割付与の原則】
(鄯)隣接する名詞句を動詞の対象とせよ。ついでそれ以外の名詞句を動作主または経験者とせよ。
(鄱)主格の助詞ガのつく名詞句を動作主または経験者とせよ。
まず(1)cを例にとろう。
 お母さんが 息子に 事故を 起こされた。
(鄯)より動詞「起こす」に最も近い名詞句「事故」に対象を付与し、つぎに近い「息子」に動作主を与える。残りの「お母さん」には、受動形態素ラレによって被害経験者という役割が与えられ、正しい解釈が得られる。
 つぎに(2)cをみてみよう。
 お父さんが 娘に t 本を 汚された。
(鄯)により動詞「汚す」にもっとも近い名詞句「本」に対象を付与し、次に近い「娘」に動作主を与える。しかし文頭の名詞句「お父さん」には与える役割がないので、(鄱)により「お父さん」には動作主が与えられる。(この文のラレは意味役割をもたない。)そうなると、二つの名詞句が動作主をもつので競合する。その場合、患者はどちらが動作主かを推測するしかなくなり、その結果チャンスレベルの成績となるのである。
 いずれにしても、失文法の患者さんが、表面上の並び方はまったく同じこれらの二つの文にたいして、このような違った振舞いをするのは、不思議としか言いようがない。そしてこの不思議さを合理的に説明するためには、目に見えない痕跡tと連鎖を想定するしかほかに方法がないのである。
 さて、ウェルニッケ失語患者にこのテストを行ってみた結果も表5に示してある。これをみると、ブローカとの比較でたいへん興味深い事実が浮かび上がってくる。ブローカ失語患者では、100%理解できる構文と50%前後しか理解できない構文がはっきり分かれていて、この違いのパターンは患者ごとに異なることはない。これを「失語症的理解のパターン」という。一方ウェルニッケ失語患者では、個人差が激しく、構文ごとの理解度にも一貫性がない。また、文中にはあらわれない人物や物体や動作を選んだりするという、意味的な間違いをおかすことも少なくない。
 このような質的な差異は、ウェルニッケ領域ではなく、ブローカ領域が、純粋に構文の演算処理に直接かかわっていることを示している。
(p.74〜76)