池谷裕二:記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方.講談社.2001


(p.66,67)
 プライミング記憶が発見されたのは1980年代のことで、それ以前には存在すら知られていなかったのです。そこで、プライミング記憶について説明する前に、簡単な実験をしてみましょう。まず次の文章を読んでみてください。これはアメリカが生んだアニメヒーローである「ポパイ」と、ポパイが食べる「ほうれんそう」に関する内容です。
 

  ポパイが恋敵のプルートをなぎ倒すさまは我々に心地良い快感を与えてくれる。ポパイが圧倒的に体格が劣っているため、さらに我々の同情感を誘う。ほうれんそうを食べて怪力になり、それまではまったく歯が立たなかったプルートから逆転勝利を収めるなじみのパターンも見ている者に安心感を与える。さて、ポパイの力の源であるほうれんそうが実際に高い栄養価をもつことは周知の通りであるが、このアニメの影響力は絶大で、当時ポパイを見ていた成長盛りの子供たちが積極的にほうれそんうを食べるようになったということが報告される。


 なんの変哲もないこの論説ですが、いまこれを読んだ皆さんの脳には、プライミング記憶の形跡を見ることができるかもしれません。この文章中には「ほうれんそう」という言葉が三回出てきました。しかし、お気づきでしょうか。三回目に出てきたときには、それは「ほうれんそう」ではなく、まったく意味をもたない文字の羅列である「ほうれそんう」という言葉が書かれているのです。皆さんの中には気づかずにうっかり「ほうれんそう」と読んでしまった方もいることでしょう。これは、皆さんがこの文章は「ポパイとほうれんそう」の内容であるとあらかじめ意識しえいるから、それに近い単語を勝手に都合よく解釈してしまったのです。つまり「ほうれそんう」という無意味な単語を読むときに、依然出てきた「ほうれんそう」という言葉を記憶していて、自分の意識よりもその記憶のほうがさきに文字を認識してしまうのです。このように無意識に行われてしまう記憶をプライミング記憶といいます。