『言語と脳』抜粋

杉下守弘:『言語と脳』紀伊国屋書店,1985


(p.10‐12)

 精神の座は脳であるとする話は紀元前約五世紀頃、アルクマイオン(alkmaion)によって唱えられたのが最初であるといわれている。しかし、彼はまた、脳は精液を産出する器官であるという奇妙な珍説を受け入れている人でもあった。
 経験的な根拠にもとづいて、精神の座は脳であると述べたのは、紀元前四世紀にギリシャで活躍したヒポクラテスをはじめとする、ヒポクラテス派の医師であろう。ヒポクラテス集典の「神聖病について」と題する章には次のように記されている。

「われわれの快楽感、喜び、笑い、冗談、苦悩、不快感、悲痛、号泣も、すべて脳から発するということを、人びとは知らなければならない。また、脳によって、われわれは思考し、見聞きし、また美醜、善悪、快不快を習俗にそって鑑別したり、効用によって感じ分けたりすることによって、識別するのである。
 また、この同じ脳によって、われわれは狂気になったり、精神が錯乱したりするし、昼夜の別なく恐怖やおびえが湧きでる。不眠や夢遊病や無益の心配や、既成の秩序の無視や奇行を取らしめたりもする。いっさい、これらは脳がもとになって起こる症状であって、それは脳が健全さを失って、自然の状態よりも熱くあるいは冷たくなったり、流動状態あるいは感想状態になったり、そのほか平常と異なる兆候を示す時に起こるのである。流動状態は狂気のもとである。」


(p.12)

 心臓を精神の座とする説は、紀元前三世紀のギリシャの哲学者アリストテレスの指示を得て、当時は多くの信奉者が存在した。一方、脳を精神の座とする説は、紀元前一世紀に活躍したギリシャの解剖学者ガレノスによって指示され、優勢となり定着しはじめる。


(p.14)

 脳室に精神が宿っているとする説がネミシオスによって四世紀に唱えられた。ネミシオスの影響は聖アウグスティヌスなどを介して中世に引き継がれていき、精神の座とする説は一七世紀まで生きつづける。