岡部慎吾,宇川義一:連続経頭蓋磁気刺激の治療の可能性.神経内科64:473-480,2006

疾患ごとに現状に関しての概略

Perkinson病、うつ病統合失調症脊髄小脳変性症、不安障害、排尿障害、書痙、てんかん、疼痛、半側空間無視



おわりに
耳鳴りを軽減し,減煙に成功し,本態性振戦の治療や,多発性硬化症に伴う痙性の改善などにも応用した研究が報告されており,TMSのもつ簡便さを武器に,臨床への応用は想像を超える速さで拡大進行中である.Publication biasもあろうが,応用範囲が拡大し,有用性が高まること自体は非常に大切なことではあるが,TMSあるいはrTMSの臨床応用,とくになんらかの患者に対する治療効果を研究対象とした場合,治療効果の再現性の確認と,適切なsham刺激方法との比較をしているかどうかの2点が今後検討されるべき最重要点課題である.今後は,エビデンスレベルの高いrandomized controlled trialによる有効性判定が不可欠であろう.

菅野倫子,藤田郁代,橋本律夫,伊藤智彰:失語症における構文理解障害のパターン―左前頭葉病変と左側頭葉病変例の比較―.神経心理学21:243-251,2005

要旨:構文理解にはすくなくとも統語解析と意味解読が必要といわれるが(Saffran,2001),その脳機構は明らかではない.我々は構文理解障害を呈した左前頭葉病変例及び左前頭葉病変例に文容認性判断検査を実施し,助詞を逸脱文と語彙逸脱文,及び単文と複文の違いが容認性判断に及ぼす影響を検討した.その結果,左前頭葉病変例は助詞逸脱文の判断が困難であったが,語彙逸脱文の判断は良好であった.左側頭葉病変例は助詞逸脱文と語彙逸脱文の判断が共に困難であった.全症例で単文と複文の違いは判断成績に影響しなかった.結果より,左前頭葉が助詞の処理,左側頭葉が文中における語の意味処理に関わることが示唆された.



構文理解過程
(p.243,244)

 例えば「女の子が男の子を追いかける」では,始めに「女の子」や「男の子」が[+生物]の意味素性(semantic feature)を持つ等の「単語の意味解読」が行われる.さらに「女の子が」,「男の子を」が名詞句で文の主語と目的語を担い,「追いかける」が動詞句で述語を担うという「統語解析」が行われる.次いで,助詞を手掛りに動詞が選択する意味役割(semantic role)を名詞句に付与し,「女の子が」が[動作主],「男の子を」が[対象]であるという「意味解読」が行われる.なお一連の処理は作業記憶を必要とする.この構文機能に関わる脳部位は,健常者の脳機能画像法から統語解析に左下前頭回の活性化を認めるとする報告(Friederici,2000)の一方で,左前頭葉には活性化を認めないとする報告(Dronker,1994)もあり,統一した知見は認められていない.従って画像研究と共に脳病変例の言語症状分析からも構文理解の障害特徴を検討する必要がある.

萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998⑤


エピローグ


言語演算処理の型の分類



 まず、言語にかかわる演算処理には、少なくとも二つの質的に異なったタイプが存在していると考えられる。一つめは、抽象的なレベルでの「規則の適用による文法演算処理」である。これは、言語単位の大きさにかかわらず、生産的であり、規則的で、意味が関与しない言語処理である。つまり、音素、形態素、単語、句、文のいかなる言語単位についても、記号の表示とその変換にかんする心的操作が行われる。
 ここでいう「文法演算処理」の雛形には、文レベルでの「統語演算処理」がある。具体的には、普遍文法の原理の中でもとくに純粋な計算にかかわるもの、たとえばXバー原理、要素の移動にかかわるα移動とその制約としての下接の条件、格原理、などが考えられる。
(中略)ここで提案する「規則の適用による文法演算処理」には、さらに、語の形成にかかわる「形態的な演算処理」や、音素の結びつきに作用する「音韻的な演算処理」も含まれている。
 単語のレベルは、屈折形態素のみならず、形容詞を名詞にする派生形態素も該当する。英語で規則動詞の過去形がつくれない特異言語障害の事例や、失文法ブローカ失語患者が名詞化する派生接辞-サの扱いに、ほかのタイプの失語症患者や健常者とは異なった振舞いをするという事例は、この仮説を支持する証拠となる。 
 音のレベルでも抽象的なルールがはたらいている傍証として、特異性言語障害の患者が、英語の複数形にともなう音韻同化現象に困難をきたすことなどがあげられよう。
(p.117〜119)



ブローカ領域の役割



 ブローカ領域は、「かなりや早い時間帯での自動的な直列文法演算処理を行うための資源を提供している機能的モジュールのありか」であるととらえられる。
(中略)
ブローカ領域の役割にかんするこのような新しい言語学的仮説は、従来の神経心理学の立場から提案された仮説やモデルとは大きく異なる。まず、ブローカ領域は「文の処理にかかわる」とか、「音韻の処理が行われる」というような曖昧なものではなく、より精緻化されている。
 また、「名詞は側頭葉で、動詞はブローカ領域で処理される」というような主張もこれまであったが、脳の機能的モジュールが、前頭葉と側頭葉で統語範疇(品詞)ごとに分かれているようなことがありそうもないことなのは、第3章でみた形容詞から名詞を派生する単語の実験結果からも容易に想像できるであろう。この説に従うと、極端にいえば、名詞の「釣り」と動詞の「釣る」が脳の別々の場所で処理されるというような、非経済的なことになってしまう。言語学的にみると、名詞も動詞も同じ語彙範疇に属している。重要なごとは、メンタル・レキシコンに登録されているそれぞれの語彙項目の記載情報の内容である。ブローカ失語患者が動詞の生成に困難をきたし、側頭葉病変の患者は名詞がうまく使えないことがもし本当であるならば、それは、実験で用いた単語の語彙概念情報に影響されたため生じた随伴現象であって、統語範疇そのものが問題なのではない。
 さらに、最近欧米の研究者たちの「時制という素性の場所」とか、「統語表示そのもののありか」などという主張とも異なる。素性や表示そのものがブローカ領域の神経回路網に蓄えられているとは、到底考えにくい。
(p.119〜122)



音や意味のパターン連想と側頭葉


言語にかかわる処理方式の二つめとして、音と意味による「パターン連想処理」があげられる。これは直列的方式で、連想記憶やそれにもとづいたアナロジーにかかわるものと思われる。言語においては、主に音の類似性のパターンがかかわるが、意味の類似性も関与している可能性がある。
この処理方式は、左半球側頭葉の広範囲で行われていると考えられる。
(p.122,123)

萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998④

4.文法の障害と遺伝子

特異性言語障害の言語分析


 一般に、英語が母語の特異性言語障害の人たちは、文法のなかでもとくに、形態素にかんする誤りが目立つという。とくに、時制をあらわす形態素の誤りが多いと言う。その多くは、John wash the dishes yesterday.のように規則動詞の過去形につける接辞‐edを省略するものである。またThe little girl play with her.のように相をあらわす進行形の‐ingの誤りも目立つ。しかし面白いことに、went、had、gotのような不規則動詞の過去形はめったに間違えない。
(p.89)



日本語の特異性言語障害


 日本語の特異性言語障害では、動詞の時制や文法格助詞、統語の理解に問題がある。たとえば、動詞の時制にかんする実験では、次の空欄に適切な動詞の活用形を入れて文を完成しなければならないが、障害者は多くの誤りをおかした。
 a 毎日かずお君は学校へ行く。きのうもかずお君は学校へ   。
 b 毎日妹は本をきむ。きのうも妹は本を   。
とくに興味深いのは、新語動詞を用いたbの文である。障害者が文法規則を知っているならば、今まで見たことも聞いたこともない新語に対しても、その規則を適用できるはずだが、彼らはbの文で予測される「きんだ」という形は使えなかった。その代わり、「きた」のように新語に音声的に近い音をもつ実在語をレキシコンの中から探して答えることがあるという。規則が使えないことを補う別の方法を用いていることがわかる。
 a 太郎が花子を押した。
 b 花子が太郎に押された。
 c 太郎が次郎に花子を押させた。
 d お母さんは赤ちゃんがミルクをのませた。
特異性言語障害の人はaの文は理解できるが、bやcの文はなかなか理解できない。また、dのようなおかしな文を正しいと判断してしまう傾向がある。このことは、受け身のラレや使役のサセは動詞につく接辞であり、なおかつ文法格助詞二やヲも動詞の形で変わってくることによるものと考えられる。
 さらに、動詞でも「書けば」、「書いた」、「書かれた」など、活用語尾がつく形は間違えてしまうが、「書き込む」、「書き忘れる」、「書き間違える」のように、二つの動詞が結合した複合動詞といわれるものは、正しく使うことができる。複合動詞が正しく使えるのは、一つ一つをメンタル・レキシコンに登録しているからと考えられる。
 現在、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、カナダインディアン諸語の一つであるイノクティトウット語でも調査が進んでいる。それによると、言語によって障害のあらわれ方は若干異なるが、基底にある障害の性質は同じであるという。
(p.93)

萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998③

3.言語理論からみた失語症


新語にはルールをあてはめる


(1)a抹茶は苦い。外国人の舌には、少し苦みが強すぎるようだ。
   b抹茶は苦い。外国人の舌には、少し苦さ強すぎるようだ。
(2)a世界で一番うまいのはおふくろの味だ。そのうまみには、どんなコックもかなわない。
   b世界で一番うまいのはおふくろの味だ。そのうまさには、どんなコックもかなわない。
(3)a親の愛情はありがたいものだ。父が亡くなってはじめて、そのありがたみが分かる。
  b親の愛情はありがたいものだ。父が亡くなってはじめて、そのありがたさが分かる。
aとbはほぼ同じであるが一箇所だけ異なっている。前の文の形容詞を後の文で名詞にするために付いている‐ミと‐サの部分である。aでは‐ミが、bでは‐サが使われている。読者の方々は、(1)(2)(3)の文脈ではaとbでどちらの方が自然だと感じられたであろうか。たぶん(1)ではa、(2)ではb、(3)ではどちらも良いと答えた方が多いと思う。とりあえず(1)を「み優先文」、(2)を「さ優先文」、(3)を中立文とよんでおこう。
 さらに、次の文では{ }内のどちらが自然だと感じるであろうか。「れめい」などという日本語はないが、仮にあるとしよう。
  今年の巨人は打線がれめい。高い打率が巨人の{れめみ・れめさ}だ。
 実在語を含んだ(1)(2)(3)の文脈と、実在語の部分を新語(さのい、まくいなど)にかえた右のような文を三つの文脈で、それぞれに六文ずつ用意して、百名以上の大学生にアンケート調査を行い、各々の文について自然だと感じる度合いを(中略)。大まかにみると-サは文脈にかかわらず「れめい」のような新語につけても自然であると判定されたのに対して、-ミは文脈上適切な場合でも新語につけることは容認されにくかった。この違いは何に起因するのだろうか。
 そこで、タイプの異なる失語症患者を対象に同じように実験を行った。(中略)
 新語で行った課題の結果は次のようになった。「さ優先文」では、健常者、超皮質性運動失語、語義失語、ウェルニケ失語患者が一様に、圧倒的に「さ形」を選んだのに対して、驚いたことにブローカ失語患者だけが、平均50%で両方を選んでいる。つまりこの場合チャンスレベルである。「み優先文」をみると、ブローカ失語患者が「み形」をより好んだのに対して、語義失語患者は「さ形」の方を選んだ。
 (中略)二つの接辞をさらに細かくみていくと、その違いが鮮明に浮かび上がってくる。一つめは、-サはどんな形容詞にも付けることができる(暖かさ、冷たさ、薄さ)のに対して、-ミが付けられる形容詞は約30個ほどと限られている(冷たみとか薄みとは言わない)。つまり-サはとても「生産的」な接辞である。二つめは、-サはどんなタイプの語にも付けられる(ナウい―ナウさ、甘酸っぱい―甘酸っぱさ、大人らしい―大人らしさ、節操がない―節操のなさ)のに対して、-ミはそうでもない(ナウみ、甘酸っぱみ、大人らしみ、節操のなみ、などとはいわない)。-サには、当てはめられるものには無条件で当てはめてしまうという性質(デフォールト性)がある。三つめに、形容詞に-サがつくと、その意味はたいてい予想しやすい(大きさ、高さ、重さは程度をあらわす)が、-ミはそうではない(深みは場所、痛みは感覚など)。このような言語学上の違いをもとに、その処理メカニズムを検討すると、つぎのようになる。「さ形」の名詞はデフォールトのルールでつくられるから記憶しなくても良いが、「み形」の名詞は一つ一つメンタル・レキシコンに登録しておかなければならない。そしてもとの形容詞とは語幹が同じなので、パターン認識より連想記憶で関係づけられるという仕組みだ。
 新語の課題で健常者が、「さ形」はきわめて自然だと評価した結果は、新語には「-サを付けよ」というデフォールト・ルールが適用されたためと解釈できる。-ミはそのような性質をもたない。失語症患者への実験でブローカ失語患者だけが選択課題でチャンスレベルとなったのは、このタイプの患者ではそのルールが適用されていないためと考えられる。ブローカ失語の被検者四名が文の理解検査でも、二者択一の課題で名詞句移動のある文にはチャンスレベルの成績を示したこととも合致している。これは、派生接辞-サの付加が、文法規則と同じような性質をもっていることを意味している。一方、語義失語の患者が「み優先文」でブローカ失語患者とは対照的に「さ形」を選ぶ傾向がみられたことは、新語を選択するときに彼らの頭の中で実在語をもとにしたアナロジー(類推)がはたらいていなかった可能性を示している。
 さらに脳内での言語処理という観点からみると、ブローカ失語患者の結果は、文だけではなく、派生接辞の付加という非常に微細な単語処理レベルでもブローカ領域が関与していることを示唆している。また、語義失語患者の結果は、左側頭葉中下回から内側面にかけての領域が、語のアナロジーにもとづいた処理に関与していることを示している。言いかえれば、言語演算処理の型は、これまでに知られているような多重ニューラルネットワークの一種類だけではなく、それに加えて、文法演算処理に特有な直列方式という、少なくとも二つの異なった型に分離していることを示している。
(p.76〜82)

萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998②

3.言語理論からみた失語症

ブローカ失語の下位分類である失文法失語について)
 いずれも文法格助詞が抜け落ちてはいるが、よくみると語の並び方は日本語の基本的な語順である。なんだか電報の文体に似ている。笹沼らの調査では、全発話例のうち98%は、正しい語順であったと報告している。脳損傷の後でも、普遍文法の原理のうち、Xバー原理に含まれる主要部のパラメータの値は強固に保たれているようである。
 このことは、幼児のことばの獲得との関係でたいへん面白い。というのは、前にも述べたが、二歳前後というかなり早い時期にすでにこのパラメータの値は設定されているという証拠が、さまざまな言語から示されている。ロマーン・ヤーコブソンの提唱した、「早く獲得したものは失われにくい」という「鏡像の原理」が、音韻のレベルだけでなく、文のレベルでも成り立っているのである。
(p.65)


 臨床家がこの患者は「失文法」であると診断するとき、その基準となるのが「てにをは」の脱落といわれている。そこで筆者は、数年前、本当に機能範疇の項目はすべて抜け落ちてしまうのだろうかと考えて、調べたことがある。(中略)典型的な患者四例を分析した結果、補文辞(ト、ヨウ)や文法格助詞(ガ、ノ)は省略されやすいが、否定や後置詞(カラ、マデ)は比較的残っているという傾向がみられた。
(p.66)


 失文法患者では、脳損傷のために、文の処理に使われる作業空間が限られている。そのため、小さい構造は大きい構造より扱いやすく経済的である。したがって、小さい構造をもつ文は、大きい構造をもつ文より、失文法患者にとって、話したり理解したりしやすい。
(p.70)


ここで注意したいことは、Xバー原理に含まれる主要部パラメータの値は保持されていることである。つまり、普遍文法そのものはおかされていないといえる。問題は、限られた時間内で文を把握し、その中で肝心な要素どうしがもつ語彙素性が一致するかどうか(たとえば、疑問詞ナニと終助詞カ)をチェックしなければならないのに、構造が大きくなってしまうとそれがうまくできないのである。言いかえれば、彼らの障害は、言語の知識ではなく、使用にまつわるものといえよう。
 興味深いことに、この階層性は、重症度や回復の過程とも相関関係がある。重症の患者ではすべての機能範疇の語彙に障害があらわれるが、軽度の患者ではもっとも高い位置にある補文辞の誤りも正しく判断したり、話すことができる。ことばを取り戻す過程でも、低い位置の語彙から高い位置の語彙の順番で回復する。
 また、日本語とは語族を異にする、スウェーデン語やオランダ語や、アイスランド語、さらにヘブライ語の失文法患者のことばにも、現れ方は違っても、同じような現象がみられるという。
(p.70〜71)

聞いた文が理解できない


【失文法ブローカ失語の意味役割付与の原則】
(鄯)隣接する名詞句を動詞の対象とせよ。ついでそれ以外の名詞句を動作主または経験者とせよ。
(鄱)主格の助詞ガのつく名詞句を動作主または経験者とせよ。
まず(1)cを例にとろう。
 お母さんが 息子に 事故を 起こされた。
(鄯)より動詞「起こす」に最も近い名詞句「事故」に対象を付与し、つぎに近い「息子」に動作主を与える。残りの「お母さん」には、受動形態素ラレによって被害経験者という役割が与えられ、正しい解釈が得られる。
 つぎに(2)cをみてみよう。
 お父さんが 娘に t 本を 汚された。
(鄯)により動詞「汚す」にもっとも近い名詞句「本」に対象を付与し、次に近い「娘」に動作主を与える。しかし文頭の名詞句「お父さん」には与える役割がないので、(鄱)により「お父さん」には動作主が与えられる。(この文のラレは意味役割をもたない。)そうなると、二つの名詞句が動作主をもつので競合する。その場合、患者はどちらが動作主かを推測するしかなくなり、その結果チャンスレベルの成績となるのである。
 いずれにしても、失文法の患者さんが、表面上の並び方はまったく同じこれらの二つの文にたいして、このような違った振舞いをするのは、不思議としか言いようがない。そしてこの不思議さを合理的に説明するためには、目に見えない痕跡tと連鎖を想定するしかほかに方法がないのである。
 さて、ウェルニッケ失語患者にこのテストを行ってみた結果も表5に示してある。これをみると、ブローカとの比較でたいへん興味深い事実が浮かび上がってくる。ブローカ失語患者では、100%理解できる構文と50%前後しか理解できない構文がはっきり分かれていて、この違いのパターンは患者ごとに異なることはない。これを「失語症的理解のパターン」という。一方ウェルニッケ失語患者では、個人差が激しく、構文ごとの理解度にも一貫性がない。また、文中にはあらわれない人物や物体や動作を選んだりするという、意味的な間違いをおかすことも少なくない。
 このような質的な差異は、ウェルニッケ領域ではなく、ブローカ領域が、純粋に構文の演算処理に直接かかわっていることを示している。
(p.74〜76)

萩原裕子:脳にいどむ言語学.岩波書店,1998

1.ことばの仕組み

 たとえば、英語の動詞の過去形をみてみよう。中学生のときを思い出してもらいたい。
a go‐went do−did be‐was
b sing−sang ring−rang spring−sprang
c walk−walked talk−talked want−wanted believe―believed
一般には、a、bが不規則動詞、cは規則動詞として知られている。a、bいずれも過去形が不規則変化しているもので、aを補充形、bを不規則とよぶ。Aの補充形は、現在形と過去形のペアでは類似性が何もないので、私たちは、単純語と同じようにgoとwentを一つずつ機械的に覚える(レキシコンに登録する)しかない。
 次に、bの不規則形をみてみると、現在形と過去形で何となく音が類似している。つまり「音のパターン」が似ている。この場合、格ペアが一組ずつ記憶されたとしても、音が類似したペア同士が、音のパターンによって記憶されている可能性があるかもしれない。つまり、sing‐sang、ring‐rang、spring−sprangが[iŋ‐æŋ]という音のパターンで、keep−kept、sleep−slept、sweep−sweptは[i:p−ept]という音のパターンで記憶されて、関係づけられていると考えることもできる。
 さてcの規則形はどうであろう。現在形は覚えなければならないが、過去形は語幹にただ-edをつければよい、という、完全に生産的で規則的な特徴をもっている。この場合、過去形は記憶される必要はなく、他の形がみあたらなかったら無条件で-edをつけよというようなデフォールトな規則が私たちの頭の中で働いているのかもしれない。
 1990年頃にこのようなことを考えたのは、アメリカの言語心理学スティーブン・ピンカーであった。彼は仮説を立てただけで、実際に証明したわけではないが、もしこのようなことが本当に起こっているのならば、単語の処理の仕方には、一通りではなく、いろいろなやり方があるということになる。
(p.38〜39)